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嬉々として他人に規制しないでください>働かなくていいじゃない

yahoo:「「働けなくてもいいじゃないか!」働けない=無価値という“思い込み”を疑え
病気や怪我など、様々な理由で働けない状況に陥ったとき、多くの人が後ろめたさや不安、劣等感にさいなまれるかもしれない。だが「そんな思いは不要」、むしろ「働かないほうがいい」と考える政治学者がいる。『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス刊)という衝撃的なタイトルの書籍を上梓した、栗原 康先生に話を伺った。
会社で働いてお金を稼いで食べる…それは本当に当たり前?

「今でこそ本を出したりして、ちょっと食えるくらいのお金をもらっていますけど、それこそ10年くらい前、大学院を卒業したくらいから5年ほどは年収10万円くらいでした。完全に実家のお世話になっていて、それこそ父親の年金で暮らす、みたいな。昼間に外でタバコを吸っていたら、母親から『恥ずかしいから外に出るな』と言われたり。でもテレビ見放題だし本も読み放題だし、しまいには写経を始めたりして、けっこう充実していましたよ」

ほかならぬ栗原先生自身が、“働かない”を地で行っていたのだ。「いったん開き直ってしまうとラクだぞ、と思います」。ではなぜ、そんな生活をおくっていたのか。

「使おうと思えば救済措置はいくらでもあります。生活保護や、炊き出しのような支援活動もありますから。飢え死にする前に利用できる仕組みはたくさんあるんです。日本の場合、生活保護を取りに行くと『親や親戚を頼れ』と行政に嫌みを言われたりします。ダメ人間とのレッテルを貼られてしまう。でも、ヨーロッパなんかではまったく違って、収入が少なければ生活保護で暮らすのはあたりまえです」

日本は、“自立すべき”という精神が過剰に強い社会なのだとか。

「高度成長期あたりからの風潮だと思いますが、定年まで会社で働いてお金を稼いで食べるのが当たり前だという意識でしょう?」

確かに多くの人がそうしているし、それが社会を生きるためのセオリーだと信じて疑わないことだろう。

「終身雇用は崩壊しているのに、終身雇用マインドは崩壊していないですよね。でも非正規雇用で暮らすのは限界で、それで頑張っても年収300万円を超えにくい世の中です。さらにやたらと高い税金に、国民健康保険に国民年金も払えというのだから、手元にはあまり残らない。病気やケガで体を壊し、家賃でも払えなくなれば、すぐに生活は破綻しますよね」

働くということは、古来の奴隷制度に由来していた?

こうした現状に、多くの人がやっていけなくなっている。だからこそ、セーフティネットとして使えるものは使えるだけ使ってしまったほうがいい、というのが栗原先生の考えだ。

「僕は大正時代のアナキスト・大杉 栄の研究をしています。『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)という本でも書いたのですが、大杉 栄は、自分の体を労働力商品として売り出す発想の起源は、奴隷制にあると言っています。普通、人は人を“商品”とは考えないですよね。モノじゃないんだから。でも奴隷制は少数の支配者が富を貪るために他の部族を制圧し、奴隷にして農業などに従事させます。そこで奴隷たちに強要する考えが『殺されたくなかったら働け』なんです。一度人格を奪われて、家畜のように働かされる。人間であって人間じゃない。交換可能なモノ、労働力“商品”になるわけですね。現在も同じ。支配者目線で“使えるかどうか”で、その人の商品価値が決まるし、労働者もそう信じているでしょう。それを大杉は“奴隷根性”と呼んでいます」

つまり有史以来、多くの人が奴隷根性を抱え、無意識的に自身を当てはめているということだ。その枠組みのなかで考えるからこそ、上手に働けない自分を悲観するなどしてメンタルを崩してしまう人もいる。「働けないヤツがダメなヤツだというのは、奴隷制度の発想なんです」と栗原先生は続ける。

「この発想に慣れてしまうと、経営者が会社をつくってくれたから、自分たちを守ってくれているから生活が安定する…とかみんな考えちゃうでしょう? だからある種、働けない・働かないということは奴隷制度からの解放でもあるんです」
「働けなくてもいいじゃないか!」働けない=無価値という“思い込み”を疑え

(画像:ホウドウキョク)
“仕組み”がわかれば、「働けない」=「無価値」ではないとわかる

実際、働くという枠組みから離れる選択を選んだ人は、枚挙にいとまがないことは事実だ。

「古代は逃散農民といって逃げ出す農民はたくさんいました。そういう人たちは徴税システムから脱却して、海や山に出て自分たちだけのために暮らすわけです。彼らは山賊や海賊と呼ばれ、安易に悪者のレッテルを貼られてしまうことも多かったわけですが…。ただ現在でも、自発的に可能な限り貨幣システムから脱却して、悠々自適な生活を送る人も多くいますよね」

栗原先生以外にも、周囲にそんな例はあるという。

「友人のアナキズム研究者が、東京を出て九州で暮らしています。彼は定期的な収入が年間40万円ほどだそうですが、結婚してお子さんも2人いて、決してキレイではないけど大きな家を借りて暮らしているんですね。空き家をもっていそうなお宅を訪問してまわり、激安で貸してもらったんだそうです。ちょっと郊外に出れば、そういう空き家もあるし、近所の畑を手伝って野菜をもらうことで、割と食べていけるそうなんですよ」

たとえそういった考えに賛成できたとしても、なかなか実践できるものではないだろう。なぜなら、たとえ労働の根底に奴隷制度があったとしても、自ら道を切り拓くより、現行の社会システムのなかで安寧を得ることの方が圧倒的に近道だからだ。

「仮に正社員になれた人でも、奴隷根性だけでは辛くなってくると思いますよ。クビになりたくない、もっと役にたたなければ、もっともっとと精神的に追い詰められる。でも一度“使役されている(働かされている)”ことがわかれば、随分と気持ちが楽になるはずです。そういう気楽さがもっと広がっていけば、社会も変わってくるんだと思います」

多くの人が現実的に生活水準の向上を考えるなら、その枠組みを完全に捨て去るのは難しいことだろう。しかし、「働けない」ということが、必ずしも「無価値」ということではないと考えるための、ひとつの糸口と言えるのではないだろうか。


アナキズムを名乗る人が国から生活保護とかもらっちゃダメでしょ(笑)

また、働かなくても食べていかれるのは、他人が働いて稼ぐ、物を生産するから可能なわけでしょ?
百人いて、百人が働かなければ誰も食べていけませんよ?
働かなくていいという発想はあり得ませんね

皆が安寧な生活を求めるから働くわけで、働かなくて楽な生活が存在しうるわけないでしょうに

いい歳して、そんなガキみたいな発想をすることを恥ずかしいと思って欲しい
他人にたかることを当然のことのように言うなよって思います
親御さんがいった通り、恥ずかしいことなのです

ただし、病気怪我などで全く働くことができないのなら食べさせてもらうのは問題ないと思いますよ
働く能力があって、働かないのは許されることではありません
悩ましいのは働く気力があるのに、働く場所を確保できない場合ですね
働けるように、国に調整してもらえたらなって思いますが、無理かなぁ


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00010003-houdouk-life


元記事
Seesaa:「嬉々として他人に規制しないでください>働かなくていいじゃない
ここは第一稿で元記事は改版している場合があります
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  by sunrisesunset77 | 2017-03-18 22:40 | 身近なニュース

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