教育勅語がさげすまされる理由がわからん
yahoo:「高橋源一郎、今話題の「教育勅語」を現代語訳 「わかりやすい」「ドン引き」など賛否の声」
小説家の高橋源一郎さん(66)が15日、自身のTwitterアカウント( @takagengen )で現代語に訳した「教育勅語」を公開した。
高橋源一郎さんのTwitterアカウント
高橋さんは小説を発表するかたわら、鴨長明「方丈記」(『枕草子/方丈記/徒然草』 河出書房新社)の現代語訳や「論語」(「一億三千万人のための『論語』教室」 河出書房新社「文藝」連載)の現代語訳と解説を行ってきた。しかし古典の現代語訳全般について「読んでいてもピンとこないことが多い」と発言。
そして今話題の「教育勅語」を読んでも「よくわからない」と感想を述べる。例えば冒頭の「朕惟フ」という言葉に関して高橋さんは「同時代で、『朕惟フ』を読んだ人は、『私は思う』とは受けとらなかったんじゃないかな。正確だけれど『正しくない』訳、そんな気がする。」と語る。
そこで高橋さんは現代人が当時のニュアンスを正確に受け取れるように訳しTwitterに8回に分けて投稿した。
■「朕惟フ」をどう訳す?
勅語のはじまりは天皇の自称“朕”は考えるという意味の“惟フ”からはじまる。
〈朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 〉(原文)
これを一般的に広く知られている国民道徳協会訳の現代語訳ではこうはじめている
〈私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。〉(以下引用は明治神宮ウェブサイト より)
高橋さんの訳ではこうはじまる
〈はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」(以下引用は高橋源一郎Twitterアカウント @takagengenより)
高橋さんの訳では誰が話し、どう聞いて欲しいのか、まで補足してある。またはっきりと「ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです」と強調している。
■「皇運」とは何か?
勅語で触れられる親孝行や博愛などの「十二の徳目」のうち一番目から十一番目に関しては、国民道徳協会に比べ高橋さんの訳がわかりやすく親しみやすいだけで大きな相違はない。しかし見解が大きく分かれる十二番目の徳目になると違いは明らかだ。
〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉(原文)
国民道徳協会の訳では
〈非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。〉
高橋さんはこう訳す
〈いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり『人としての正しい道』なんです。〉
「天壤無窮ノ皇運扶翼スヘシ」を「国の平和と安全に奉仕」と捉えるのか「公のため、ぼくたち天皇家を護るために奉仕」と捉えるのか、そこに大きな違いがみてとれる。
■賛否のわかれる反応
高橋さんは現代語訳を投稿したあと「サクっと訳したので、若干間違いあるかもしれませんが、だいたい、いい線いってると思います。自分で読み返して思ったんですが、これ、マジ引くよね……。」と感想を述べている。
SNS上では高橋さんの訳に対し「わかりやすい」「ドン引きの内容」との声が上がる一方「恣意的だ」「超訳ですね」との声もあがっている。
高橋さん訳の「教育勅語」は高橋さんのTwitterアカウント@takagengenで全文を確認することができる。
高橋源一郎の作った教育勅語であって、本物ではないですよね
参考までに
明治神宮崇敬会のページにある教育勅語へリンクして起きますので、よかったらご覧くださいね
12のたいせつなこと
記事のコメントにある、
ここじゃないかなぁ
日本国憲法の副作用だと思いますけど
権利意識ばかりが強調されて、公の精神がかなり薄れていると思うんですよ
それが、ここのコメントにかかってくるように思います
国無くして、権利なんて存在し得ないってことを忘れたらダメでしょう
例えば日本がなくなったら、誰が旧日本国民の権利を保障してくれるのか?
そういうことでしょ?
おそらく受け入れてもらえるのは金とか何かしらの力を持った人は優先的になるかもしれませんが
一般庶民は難民になるだけじゃない?
国がなくても権利は保障されるっていうのは幻想でしかない
国に権利を保障してもらいつつ、国に対して何ができるかってことが求められるはずなんだけど、なんでそこが否定されるかわからない
持ちつ持たれつじゃないの?
日本国憲法によって自分勝手な人が増えたことで、日本という国自体がおかしくなってきている
そこへ教育勅語が出てきたら全力で否定する人がいることが、日本の精神的衰退を示しているんじゃなかろうか?
国民あっての国かもしれないけど、国あっての国民でもあると思いますのよ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170316-00527984-bookbang-soci
元記事
Seesaa:「教育勅語がさげすまされる理由がわからん」
ここは第一稿で元記事は改版している場合があります
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小説家の高橋源一郎さん(66)が15日、自身のTwitterアカウント( @takagengen )で現代語に訳した「教育勅語」を公開した。
高橋源一郎さんのTwitterアカウント
高橋さんは小説を発表するかたわら、鴨長明「方丈記」(『枕草子/方丈記/徒然草』 河出書房新社)の現代語訳や「論語」(「一億三千万人のための『論語』教室」 河出書房新社「文藝」連載)の現代語訳と解説を行ってきた。しかし古典の現代語訳全般について「読んでいてもピンとこないことが多い」と発言。
そして今話題の「教育勅語」を読んでも「よくわからない」と感想を述べる。例えば冒頭の「朕惟フ」という言葉に関して高橋さんは「同時代で、『朕惟フ』を読んだ人は、『私は思う』とは受けとらなかったんじゃないかな。正確だけれど『正しくない』訳、そんな気がする。」と語る。
そこで高橋さんは現代人が当時のニュアンスを正確に受け取れるように訳しTwitterに8回に分けて投稿した。
■「朕惟フ」をどう訳す?
勅語のはじまりは天皇の自称“朕”は考えるという意味の“惟フ”からはじまる。
〈朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 〉(原文)
これを一般的に広く知られている国民道徳協会訳の現代語訳ではこうはじめている
〈私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。〉(以下引用は明治神宮ウェブサイト より)
高橋さんの訳ではこうはじまる
〈はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」(以下引用は高橋源一郎Twitterアカウント @takagengenより)
高橋さんの訳では誰が話し、どう聞いて欲しいのか、まで補足してある。またはっきりと「ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです」と強調している。
■「皇運」とは何か?
勅語で触れられる親孝行や博愛などの「十二の徳目」のうち一番目から十一番目に関しては、国民道徳協会に比べ高橋さんの訳がわかりやすく親しみやすいだけで大きな相違はない。しかし見解が大きく分かれる十二番目の徳目になると違いは明らかだ。
〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉(原文)
国民道徳協会の訳では
〈非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。〉
高橋さんはこう訳す
〈いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり『人としての正しい道』なんです。〉
「天壤無窮ノ皇運扶翼スヘシ」を「国の平和と安全に奉仕」と捉えるのか「公のため、ぼくたち天皇家を護るために奉仕」と捉えるのか、そこに大きな違いがみてとれる。
■賛否のわかれる反応
高橋さんは現代語訳を投稿したあと「サクっと訳したので、若干間違いあるかもしれませんが、だいたい、いい線いってると思います。自分で読み返して思ったんですが、これ、マジ引くよね……。」と感想を述べている。
SNS上では高橋さんの訳に対し「わかりやすい」「ドン引きの内容」との声が上がる一方「恣意的だ」「超訳ですね」との声もあがっている。
高橋さん訳の「教育勅語」は高橋さんのTwitterアカウント@takagengenで全文を確認することができる。
高橋源一郎の作った教育勅語であって、本物ではないですよね
参考までに
明治神宮崇敬会のページにある教育勅語へリンクして起きますので、よかったらご覧くださいね
12のたいせつなこと
記事のコメントにある、
当時の感覚では、「天皇陛下のために命を捧げろ」なんだろうけど、
現代の感覚では、ケネディの「国があなたのために何をしてくれるのか、ではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」が近いと思う。
出来ることをやればいいのであって、戦争に行って死んで来い、だけじゃない。3.11の後、節電に協力したってのも、十分、「国のために何かを成す」の範囲に入ると思う。
ここじゃないかなぁ
日本国憲法の副作用だと思いますけど
権利意識ばかりが強調されて、公の精神がかなり薄れていると思うんですよ
それが、ここのコメントにかかってくるように思います
国無くして、権利なんて存在し得ないってことを忘れたらダメでしょう
例えば日本がなくなったら、誰が旧日本国民の権利を保障してくれるのか?
そういうことでしょ?
おそらく受け入れてもらえるのは金とか何かしらの力を持った人は優先的になるかもしれませんが
一般庶民は難民になるだけじゃない?
国がなくても権利は保障されるっていうのは幻想でしかない
国に権利を保障してもらいつつ、国に対して何ができるかってことが求められるはずなんだけど、なんでそこが否定されるかわからない
持ちつ持たれつじゃないの?
日本国憲法によって自分勝手な人が増えたことで、日本という国自体がおかしくなってきている
そこへ教育勅語が出てきたら全力で否定する人がいることが、日本の精神的衰退を示しているんじゃなかろうか?
国民あっての国かもしれないけど、国あっての国民でもあると思いますのよ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170316-00527984-bookbang-soci
元記事
Seesaa:「教育勅語がさげすまされる理由がわからん」
ここは第一稿で元記事は改版している場合があります
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by sunrisesunset77 | 2017-03-16 21:29 | 政治